前回、これでいいのだ理論を書きましたが

これで、いいのだの捉えかたや意味はどうでしょうか?

 

これで、いいのだって

その言葉通りに考えてしまうかもしれません。

 

もちろん、前提として「天才バカボン」見ていないと厳しいのですが

バカボンパパ

 

 

天才バカボンというアニメは、ハチャメチャで
バカボンパパがメチャクチャやるんですね。

 

 

自宅にゴキブリがでただけで、爆弾しかけたりとか、当時のわかりやすい狂気じみた事をアニメ上でするんです。

それがバカボン(息子)をいじめる友達にロケットとつけて、月に飛ばしてしまうとか。

 

でも、その理由がもの凄く純情で共感できるものであったり、あくまでアニメ上です。

 

今だったら、あたまの固いお役所から放送禁止されるかもしれません。

さて、本題に

これでいいのだ!

って、部分なのですが

バカボンパパは毎回「これでいいのだ」っていうのですが

 

バカボンのパパ、「これでいいのだって」いうのは

実は、変化があっての部分なのですね。

 

 

家を爆破したり、人をロケット飛ばしてしまっても

それは変化

 

これでいいのだって

だから、今ある自分の対して「これでいいのだ」ってことではなく

自分にとって、環境も含めて自身の力で変えることができたなら

これでいいのだ

って話しです。

 

だって、自分が変わらないで、周りが変わってくれることを

期待したり、願ったりする人がほとんどです。

そして、行動もせず、周りのせいにする人が一般的に8割でしょう。

 

そんな意味で、バカボンのパパって、すごい、

 

ある意味あこがれでもあり、そんな思考でありたいな。

ウラ情報ですが、バカボンパパと

広報のF木さんは設定的に同じ歳らしい。
だから、MSNの名前が「ゆかぼん」だったんだ。

それくらい影響を与えてくれたアニメなんだよな。

今ならワンピースなのかな。

 

 

 

ちょっと深すぎるけど

 

自分の人生の幕を閉じるときに、

 

「これでいいのだ!」っていいたいよね。

バカボンで最後、ちょっとウルウルする動画みつけました。

すごくほっこりします!

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