名前の由来・・・続けます。

Thai’s(タイズ)

実は仕事でNYに4~5回行かせてもらっているのですが、先代社長が感動したスンドゥブの味の確認をしにいったってのもあるのですが、当時先代が気に入っていたピザ店やタイ料理店の視察に重きをおいていました。(スンドゥブは既にオープンしてましたので、もっと研究するって意味もありましたが)

超オシャレなタイ料理店にも行きましたが、ランチはワンコインで食べられるベジタリアン御用達の、動物性のものを使っていないタイレストランにも行き印象的でした。

日本で展開するとなると、NYと違ってベジだけでは勝負は厳しいの結論にはなったのですが。

ベジ仕様のタイカレー、ガパオなど開発しました。
特にカレーに関しては、野菜系のスープのみでベースを作り、それにカレーペーストを入れて、コクを出すために最高級のココナッツミルクを使いました。

6a8a7a60f9fd134b50790514f151b192

 

なんで、Thaisのカレーのベースには、タイではあまり使わない椎茸などがベースに使われています。
普通は鶏ベースが多いのですが、ベジを実現するために、結構苦労しました。

はっきり言って自信作です。

あっ、前置きが長くなりました。
当初タイ料理の業態に関しては、タイカレーを中心にした専門店的な位置づけで、それこそ「東京純豆腐」のようなイメージで考えていて

「タイの国から」という冗談なようなネーミングを先代が言い出して、実はロゴも作りました。

ある時、あとで書きますが、「池袋キッチン」という現在のApizza東通り本店の場所に、謎の飲食店が出来たのですが、そこでいくつかの商業施設から出店しないかと声がかかり、タイカレーの専門店ではなく、トータル的なタイ料理を提供する要望があり、池袋キッチンで毎日研究でした。

で、なぜか「タイの国から」商業施設に入る、総合的なタイ料理店をするということで、先代の「Thai’s」にしようってことで決まりました。

「More green・もっと野菜を食べようがテーマのタイレストラン」このフレーズは自分が考えたのですが、良かったか悪かったかわかりませんが、入ってきたばかりにバイトに「意味わからん」とか飲み会の席で言われて、「クソ生意気な野郎、お前辞めろや!」とかパワハラならぬ、スギハラの洗礼を浴びせました。

まぁ、いまでは彼はダイバーシティの店長もしていて、Thaisの中心的な存在であり、懐かしい思いでですが。

「More green」はNYでの先代と食べたベジタイレストランの思いがあっての事だったのです。
そして、苦労したタイカレーの開発の思いがあったので、ついつい・・・。

 

Apizza(エーピッツァ)

意外と知らないのが、かっこイイ(かっこエー)からApizzaとか言う人がいます。
もちろん、お店のスタイルやコンセプトとしてはいいと思うのですが、

元の語源は
This is a pizza(単数)

つまり、冠詞のAから来ています。

冠詞のAは複数形にはつきません。つまり一人前のピザっていう意味がApizzaっていう語源です。

NYも何度も行き食べ歩きました。
日本でピザを食べるって言うと、宅配かイタリアンで円形の大きなピザが出てきますよね。

NYではピザ屋が池袋のファミマ以上、銀座の歯医者以上にひしめいていて、ちょっと小腹が空いたときに、カットしたピザを温め直して提供してくれます。

リヒートピザってヤツです。
でも、これって凄く便利だし、安いし日本でも流行るんだと確信しましたが、どう表現するかって部分と、ピザなんて作ったことがなかった現立教店店長のI津さんと、これまた研究づくしでした。

1_3

 

いいかげんで、大雑把な直感だけの右脳男の自分と、凄く真面目できちんと測るI津さん。

出来上がったレシピをコピーするなら、正確に分量を測ってやることも必要だけど、作り上げるという部分では、見本になるようなものがあったなら、大まかな比率と入っている調味料だけ、見てそれを感覚でつくって、味見して、そしていままで味わった食材や調味料などと頭の中で、組み合わせる。

そんな考えがベースなんでI津さんには「だから測るんじゃなくて・・・」なんて色々苦労かけました。

そしてH井さんが入ってきて、店づくりやコンセプト、スクエアピザなどという独自に発想でいまがあります。
ただ、H井さんの発想は独特で開発をするスタンスでいうと、結構大変でした。
諦めたわけじゃないし、H井さんもいまでも思っているかもしれないけど、○○を使ったチーズとか、色々と思考錯誤しましたね。
で、I津さんの思いがある粉と、H井さんのお店づくり。

俺も微力ながら、ベースになっているトマトペーストのベースと、ある材料で・・・・。

謎の池袋キッチン

番外編

今のApizza池袋東通り本店

いまでこそ、雑誌やTVに取り上げられる人気店ですが
元はテストキッチンでした。

お弁当屋さんの居抜きで、1階以外に地下があり、事務スペースとして、また食材保存として大型冷蔵庫があるので、テストキッチンには最適。

でも、ただテストだけではもったいないし、色々とお客様の反応をみたいってこともあり、ランチだけ営業することに。

メニューは当初

スンドゥブ・カルビクッパ

タイカレー(グリーン・レッド・イエロー)・ガパオ

ピザ(マルゲリータ・ペパロニ)

韓国料理・タイ料理・ピザという

なんだか分からない謎のレストラン。
こじ付けでワールドキッチンと名づけましたが、時折、夜になると全国の店長が集まり会議。
もの凄い勢いで、「接客8代用語」の唱和!
めちゃ、響きます!
会議室でも使っていたのですが、間違ったら新興宗教だよね。

 

Thaisがダイバーに出店して、「お台場合衆国」の時に、仕込みが間に合わないというので、凄い量を仕込んで冷やして宅配便で送るのですが、これも額から塩を吹くレベル。
一番でかい真空パックに詰めて、機械が地下にあるので30kg位あるカレーをパックに詰めて、そして機械のある地下に・・・・。これを7セットかな。

近くに宅配便の営業所があったのですが、つめこみ過ぎて重量オーバー。

たしか35㎏超えちゃこの梱包ではダメみたいな、なんかあったような。

ヤ○ト運輸さんにはお世話になりましたわ。

I津さんがいたときは手伝ってもらいましたが、いない時は一日、なんど往復したことか・・・。

腰を痛めて・・・おかげで池袋の腕の良い治療院はよく知ってますよ!紹介料もらいたいくらい、8名位紹介してますから。

実は、池袋キッチンの前に中野坂上で、池袋パルコあたりまで、たかだか今思えば5店舗位でしたが、すべての調味料やスープ・切りものを作っていた時期があり長くなるので、機会があったら書きますが(過去のブログにもあるかも)

まじ、戦士やな!みたいな体重も15㎏減ったし。いま思えばライ○ップより中野キッチンです。

なんて、池袋キッチンの事を書いていますが、まじで・・・・・池袋キッチンがなければ
Thai’sとApizza生まれていない業態です。

腹を据えるって意味で、俺はは研究所みたいに探究するぞってことで、終電が早い自分と調理長は楽天で折り畳みベットを購入しました。なんでベット付の池袋キッチンでしたが、Apizzaオープンのタイミングで廃品回収でされちゃいました。

って、書いていて思い出したけど、震災の時に教育事業部を含めて、みんな終結したのがApizz本店=当時の池袋キッチンです。キッチンのスタッフが買い出しや、ある材料を使ってカレーをふるまったの覚えています。

調理長をはじめ、剛、ホンマいま思うと感動したしありがとうと言いたい。

まぁ、この夜ののことは、書ききれないドラマがあったので、別の機会にしようと思いますが

間違いなく言えることは、池袋キッチンがなければ、「Thai’s」も「Apizza」は生まれていないでしょう!
だからどうした?
って、ことなんですが

これって人を相手にする商売において、歴史を知るってことは、知っていてマイナスになることはないと思います。

追伸1

震災当時は本社ビルにいて、マジ怖かったです。
事業部長のH山さんは名古屋かその辺にいて、あの恐怖を味わっていなく、電話がつながらないのでスカイプで連絡ありましたが、途中で余震があり避難しながらのスカイプ。まじ怖かった言うかまわりが心配でした。

後日、H山さんから俺は「阪神大震災を経験してるから大丈夫だよ」みたいな、そりゃそうかな。

また、クソ長くなってしまった。

でも、伝えたいことが多すぎてね。

 

追伸2

震災時のことは「世界仰天ニュース」でもいけるクオリティだと思いますよ?
人って大変な時になるとね。
企業もそうだよね!!

 

 

 

 

青山店オープン

1日ワンクリック、応援よろしくお願いいたします。
   ↓

4月12日大安の日に、東京純豆腐青山店オープン。

準備中の看板を営業中にかえる。
まだお客様はこない。静かなオープンだった。

ちょっと、用事があり店舗近くの事務所に戻る。
事務所に戻っている間に、何名かお客さんが来たようだ。

記念すべき第1号来店者は、女性と男性のカップルの方だったようです。
残念ながら、自分は初めての来店者とは対面は出来ませんでした。

12時過ぎになると、ぞくぞくとお客様が来店してきます。

なれない接客ですが、ホールのスタッフも必死で対応します。
キッチンのスタッフも、ぞくぞく入る注文にバタバタになりながらもチームワークで乗り越えます。

開店1

 

 

 

 

 

 

 

多くの方から祝花をいただきました。ありがとうございます。


店内には「いらっしゃいませ~」「ありがとうございました~」の声がこだまする。

やはり、試食会の時とは比べ物にならない活気と緊張感が走ります。

肝心の味の方でしたが、黙々と食べる方もいれば、「おいしい~」と声を出す人。また、会計の時に「おいしかったよ」と言ってくれる方もいました。なかなか好評で少し安心しました。

1時を過ぎても続々とお客さんが来ます。本当にバタバタでしたが、お客様が初日からいっぱい来てくれ、満足してくれる顔を見れるのは飲食業の楽しさなのかも知れません。

そして長いランチ時間が終わり、ディナータイムに突入。

通りがかりの方の来店もありましたが、ビルのオーナーさんや工事関係者の方など、店舗オープンに係わった方々の来店が多かったです。

皆さん、チヂミやナムルといったつまみに、ビールや焼酎などを注文され、最後にスンドゥブでしめるといった感じ食事を楽しまれています。
そんなこんなで、閉店までお客様が途絶えることなく。11:30にお店を閉めました。

そこからレジ締めをやったり、あと片付けをやったり・・・。レジ締めも慣れないものだから時間がかかり、結局12時過ぎまでかかったと記憶しています。

開店2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、疲れきっているはずのスタッフの目の輝いています。自分もお客さんがいっぱい来店してくれて満足してくださる姿を実感できたわけですから。

まぁ、接客サービスは、まだ全然上手くいっていないので改善と経験が必要ですが、なんとかオープン初日を無事に終えることが出来ました。

「さぁ、明日も頑張ろう!!」という皆の声をもとにお店を後にする。

気に入ってくれたらクリックお願いいたします。
 

店舗完成

1日ワンクリック、応援よろしくお願いいたします。
   ↓

店舗の工事が始まると毎日のように、状況を確認しにいく。

最初のころは、基礎工事なので全然イメージがわかないし、見ていてもあまり面白くない。
ただ、工事も終盤に近づいてくると、店舗も「形」になってきて、ワクワクしてくる。

ここがちょっと「狭いんじゃ」ないかとか、ここはデッドスペースにならないかとか工事の職人さんがいるにもかかわらず、勝手なことをスタッフ同士で言ったりもしていたが、その辺はデザイナーさんや職人さんも考えてくれていて、無用な心配だった。

ただ、吸排気の調整がうまくいかず入り口のドアが閉まらない。この辺だけは引渡しに間に合うかハラハラものでした。開店に向けてシュミレーション(調理・接客)に日が決定しており、会社関係や外部の方々を招いて実際にランチとナイトメニューを注文をとって出すというものだが、お店が完成していなければ、それすら出来ないですから。

店内2

 

 

 

 

 

 

 

店舗を使っての試食シミレーションは、2日にわけて行う。1日目はナイトメニューで、お酒やサイドメニュー中心。もちろん最後はスンドゥブで締めるっていうスタイル。1班・2班と時間をずらして来店してもらうスタイルで合計23名。

2日目は4班に分かれてランチメニュー。合計51名。

そして店舗での試食会がスタート

スタッフは、調理をH氏が担当になり、ホールは店長のSをはじめ社員3名で構成。

自分はスタッフとしては入らず、状況のチェックと試食会に来てくれた関係者や会社の者に、ごあいさつをするといった感じ。

店長のSをはじめホールスタッフは緊張のあまり、表情がこわばっている。笑顔も余裕も全くなく、緊張から料理を運ぶ手が震えている者もいる。

なにぶん初めてお客さんを向かえてのホール仕事なので、仕方がないと思うが「おいおい大丈夫かよ・・・・」って感じでした。

料理の方が評判が良く、ホッと一安心。

ただ、やはりぎこちない接客には不満の声があがった。これは折込ずみであったので、教育と訓練のつみかせねしかない。

あと、開店まで2日間、バタバタしていたが、本当に忙しくなるのは開店後だ。

試食会が終わり、試食会に参加していただいたお客様が全員帰路につく。

お店の入り、誰もいなくなった空間で周りを見渡す。

店内1

 

 

 

 

 

 

 

やっとスタートなんだな・・・。

店舗は当初のイメージ通り、韓国料理屋さんの作りではなく非常に落ち着いたモダンなつくり。

まだ出来たばかりのお店だが、凄く好きになった。

スタッフの期待と夢の詰まった第一号店。

この空間を今度はお客様に「好き」になっていただきたい・・・・。

 

気に入ってくれたらクリックお願いいたします。
 

熱き原動力

1日ワンクリック、応援よろしくお願いいたします。
   ↓

仕事ってどうしてするのでしょうか?
生活の為であることは間違いないですが、それだけのものでしょうか?

普通に考えて、男性であれば60歳まで仕事をすると仮定すると20歳から、40年間もあります。
週休2日でGWや盆・正月休みを抜くと年間250日程仕事をしている計算になります。

40年となると、1万日となって実働8時間、通勤時間や残業などいれると最低1日10時間以上を仕事に携わっていることとなるので10万時間となる。
家庭を持ったとしても、寝ている時間を除けば、家族と語らう時間より、仕事をしている時間の方が圧倒的に多いわけです。

10万時間。途方もない時間ですね。

その10万時間を「生活するための手段」としか思えない仕事なら、人生そのものが本当につまらないものだと思う。仕事をする上において原動力が必要だと思う。


長い、前フリになると思いますが、自分の職歴に関する話をしようと思います。
(おいおい、開店への道を早く進めろよ・・・)という声が聞こえますが、これも開店への道の関わる話です。


高校卒業前に就職か、進学かまよったのですが、遊びまくって勉強とは無縁、合格圏内の大学というと六大学は無理だし○殖大なら大丈夫と先生に言われてました。

ただ、結局自分の結論は・・・専門学校にいこうかなという結論。当時バイクの改造とか好きだったんで、メカ系を学ぼうと。それと同時に親父が警察官だったので、警察に入らないかという話も出ていた・・・。

アクシデント。友達の家でマージャンした帰りに、バイクで事故(自爆)ガードレールの突っ込んで、右手首の骨折。手首の骨折なので医者に「手が棒のようになって、手首が曲がらなくなるかも」といわれました。
結構、ながい手術でしたが、リハビリ後なんとか普通の生活が出来るようになる。

営業マン

 

 

 

 

 

 

 

そんな感じで、警察の受験は自然消滅した。自分自身、警察官にはなりたくなかったし。親父は結構人脈を持っていて試験も名前だけかけば合格だったて後で知ることとなったのだが、「親父の名前で出ています」これまた古いですが、そうはしたくなかったんで・・・。

 

自分は母親が高齢出産で生まれた子で、幼いときによく両親といると「お孫さんかわいいですね」相手からすると気の聞いた言葉なんですが、親父は頭に来ていたみたいです。考えてみれば自分の息子と一緒にいるのに、相手から見れば「おじいさん」「おばあさん」なんですから。

さておき、自分の両親は普通より年をとっていると自覚する。・・・っていうか幼少期からわかってました。
でも、高校を卒業する頃になると捉え方が変わってきます。

これは男として生まれてきて、自然の摂理なのかもしれませんが、「おやじ」を超えたいという部分。
普通より、その心理が芽生えるのが、「両親が高齢」という理由があって、人より早かったような気がします。まだアルバイトしか経験をしていない身分で・・・。

もちろん、数年後に母がなくなる、父が重病のなるというのはわかるはずもないんですが・・・。

当時18歳。社会のことは全然わかってなかったです。親父を超える基準は給与しかありませんでした。
親父以上の給与をもらうこと。短絡的ですがそれしか考えつかなかったです。

親父は警察官である程度の役職にいましたので、それなりに稼いでいました。ただ、所詮公務員ですから、あっと驚く給与ではないですし・・・日本人が好きな中流の上といった感じでしょうか?


18歳でなんの技術もない自分では、親父の給与を超えるのは営業職」しか求人誌を見るとありません。

固定給20万プラス歩合給(40万以上可能)とか書いてある文書をみて、当時社会の仕組みを知らない、18歳のわからんチンはそのキャッチに非常に興味がわき、即面接の予定を入れました。

結局、その営業会社が初めての就職でした。
9:00から18:00までの看板のセールスでした。まず、本社で営業研修をした覚えがあります。
何から何までわからないまま進みましたが、とにかく吸収しようと言われた通りにしました。

その後、配属は横浜の関内営業所でした。初日に東京の日野市まで車で行き、3件位は先輩について後ろから見ているだけです。

先輩の「じゃ、今度はS君一人で行ってみて」と店の前で車から降ろされる。初めての訪問販売、心臓が上に上がってくるような、フワフワした気分で頭がボォーとした状態。

営業は個人相手ではなく、店舗看板の営業でしたのでお店の店主やオーナーとの交渉になります。

いま、考えれば、「よく偉そうに店主とわたりあっていた」と思います。とにかく一生懸命でした。

初営業はあえなく撃沈で、2店目も、しかし3店目で興味を示してくれる方がおり、新人初日、異例の契約間際まで。あわてて先輩をよんで助け舟を出してもらったが、結局「決定権者」ではなくその上にオーナーがいることが判明。結局駄目でした。ふと時間を見ると、既に午後9:30。

「S君は初日だから帰ったら」という言葉とともに日野市の知らない駅前で車から降ろされ、電車にのった。

初日だから・・・・おいおい、PM6時までの営業じゃないの????
結局自宅に帰ったのは、午前0時近くだったです。確か、親父は当直でいなくて、お袋が味噌汁を作ってくれたのを思い出します。

そんな感じで、2日目は現地解散PM10時とか、0時とか訳のわからないままに進行していく。

即決は出来なかったのですが、そんな中、「商品」と「自分」を気に入ってくれた洋食レストランがありました。
青梅の「ストローハ○ト」というお店です。喫茶店ぽいお店ですが、レストランです。

お店のオーナーも若いかたで、おそらく30代の方だったと記憶しています。

初契約は本当にうれしかったです。お金はお支払いしたのですが、当時では珍

こだわり

1日ワンクリック、応援よろしくお願いいたします。
   ↓

試行錯誤しながら、決まったスンドゥブだが、ここでは書いていなかったが、H氏が色々なサイドメニュー案を試食会の時に披露してくれた。

どれもおいしかったです。
その中から、スタッフで激論を交わしながら、味の変更、メニュー作りがはじまり、最終的にオープンメニューが決まりました。

オープンメニューと言いましたのは、スンドゥブも含めてメニューは定期的に変更していく予定です。
四季にあわせて「旬」の材料があるので、スンドゥブで言えば冬場は「牡蠣スンドゥブ」とか季節の野菜をつかった「野菜スンドゥブ」など出していく予定でいます。
サイドメニューに関しても皆様の要望にあわせて変更していく予定で考えています。

また、スタッフの要望で決まった「東京スンドゥブサラダ」や、元々自分が自宅で酒のつまみに作っていた「ジャコ豆腐」などもメニューに加わった。

「トッポギ豚キムチ」も、事業責任者I部長などの意見で加わったが、大半がH氏がイメージし、実際に作ったもので
本当にH氏には感謝している。

とっぽぎキムチ

 

 

 

 

 

 

 

 

豚キムチ&トッポギ。お酒に良くあいます。

そんなこんなで、料理を決めていく傍ら、実は同時進行で店舗設計も進んでいました。

青山の店舗は元々BAR仕様で、ガスの容量や電気の容量も制約される。中華料理ほどではないが、スンドゥブもスープ作りやナベに火をかけるので、それなりに容量が必要。
実はここが最大のピンチで、結局電気工事、ガス工事を行うこととなったが、一時はこのお店は諦めて、他の店舗を探したほうが良いのではないかとも思ったことがあった。

店舗デザインは、デザイナーの方にお任せしたのだが、韓国料理屋風ではなく、女の子がひとりでも入り安い雰囲気でちょっと、こ洒落たイメージでお願いしました。

そこで、デザイナーさんも上記のイメージと青山という立地を考えたデザインを考えてくれます。

スタッフ全員で、設計図(パース)を見て「これいいじゃない!」って感じで皆で期待を膨らませ完成をまったものです。

お店の食器なども色々探しました。合羽橋の問屋街からWEBでサンプルなどを取り寄せましたが、結局、事務所の近くにあった陶器メーカーさんに決まりました。サンプルをいくつか借りて、実際に料理を盛り付けて料理にあったものをスタッフ全員で選んでいきます。

やはり、女性の視点ということで、広報担当のFさんがイニシアチブをとり選定していきます。
はなから、韓国料理だから韓国風の食器という視点はありません。

東京純豆腐スタイルでお料理を提供していこうという考え方です。
ただ、この辺は議論の対象になったのですが、金属製のハシにするか竹ハシにするかという部分。
竹ハシ(割り箸)は使い捨てで、洗浄する必要がないので管理が楽、ただ大量に用意しておかないといけないので収納スペースをとること。
金属のハシは、韓国風で雰囲気があっていいのだが、韓国でも使用したが、重くて使いにくい。また管理も大変(金属ハシは洗うだけではなく、乾いた後ふきんで磨かないといけない)

中を中空にして軽量化されている金属製のハシもあったはずとサンプルを取り寄せる。
中々使いやすい。新しいもの、めずらしい物好きの自分はすぐに気に入った。

そんな時に新聞である記事を発見する。
中国では自然保護のため、割り箸を使用する店舗には税金を課すという記事。
よく読んでいくと、韓国では既に割り箸が店舗では使用禁止となっているようだ。日本でも環境保護と叫ばれているが、ここまで徹底した制度は割り箸メーカー黙っていないだろうし、そんな制度は日本は出来ないだろうが、いい話だと思った。
最終的に金属ハシに決定した。

※ 現在店舗では「金属アレルギー」の方向けに竹ハシもご用意しています。

牛刺し

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



韓国料理には異色のお皿。写真で白く見える部分は銀です。
銀をガラスではさむイメージの変わったお皿です。
斬新なデザインで気に入りましたが、洗浄は注意が必要←現場泣かせ・・・
写真は「牛刺し」の写真です。

なんか、食器の話とハシの話で矛盾があるんじゃないの?・・って思う方もいるかもしれません。

ただ・・・・

東京純豆腐スタイル=韓国風を否定ではありません。なにからなにまで、韓国風にする必要はないということです。
味にしても店のコンセプトにしても、韓国という部分にとらわれ過ぎるのは、自分の中では無いです。

よく、「本場の味を」なんて言葉がありますがイコール、、コピーであるなら自分は作りたくないです。
本場の定義がわかりませんし、おいしいレシピを教えてもらったら、そこからより以上美味しくたべてもらう為の調理、または演出を考えます。オリジナリティを持ちたいと思います。


自分たちで考えて自分たちで作りあげていく。

普通はこうだ。この方が無難だという考えは東京純豆腐にはいらない。・・・と思う。

次号に続く・・・・

気に入ってくれたらクリックお願いいたします。
  order=0>